野球の思い出 ~中学生編②~

さて、前回の続きです。
練習を重ねて、最後の夏、夏の地区大会になりました。
私は「地区大会3連覇」というのは一旦忘れて、一戦一戦全力でやっていこうと決めました。
(ちなみに校風でも強制されたわけでもなんでもなく、自然と全員が頭を刈るようになりました)
地区大会は順調に勝ち上がっていったのですが、準決勝厚木中学戦。ここが関門となりました。
相手は私が1年時に野球部の顧問だった先生が赴任して、相手方の顧問になっています。
勝負は7回が終わって3-3の同点で延長へ(中学野球は7回まででした)
この試合、うちはエースでなく後輩が先発していたのですが、9回に捕まり、一挙5得点を挙げられてしまい、その裏何もできず我々は敗戦。
結果8-3というスコアで敗れました。
私は地区大会3連覇が叶わなかったという気持ちよりも、号泣している先発の後輩をなだめていました。
後輩はただただ「すいません」というばかりでしたが、個人的にはよく投げ切ってくれたという思いでいっぱいでした。逆に、我々先輩勢が何もしてやれず申し訳ないと、そんな気持ちでした。
その後3位決定戦で勝利して、そのまま県央大会を迎えます。
県央大会はやはりレベルが高くなるというか、そう簡単には勝たせてくれないっていう試合が多かったです。
それでもなんとか準決勝まで駒を進めます。
ここを勝てば、2年前に先輩たちも行った「県大会」に出場できるわけなんですが・・・ 敗れてしまいました・・・。
しかもなんというか私のミスで・・・
最終回2点ビハインド、打席は私。
ワンアウトランナー1,2塁。出されたサインはヒットエンドラン。そこで痛恨の空振り・・・そして走っていたランナーがアウト・・・
最悪の展開になってしまいました。
結局最後のバッターになってしまい、このあと行われる3位決定戦に回ることに。
数時間後、3位決定戦。
ここで勝てば、3位で県大会に進めます。負けたらもう(正規ルートの)道はなくなります。
この試合では、準決勝と打って変わって私調子が良かったです。
最終的に8点取ったんですが、そのうちの2打点は私でした。
最終的に追い上げられて8-7っていうルーズベルトゲームになったわけですが、何とか逃げ切っての3位。
Tomoki、県大会へ行きます!
県大会までは10日ばかりあったわけですが、その間は毎日練習でした。
誰が決めたわけでもなく、朝いつも通りに集まり、また顧問の先生も毎日来て、ひたすらに練習に明け暮れました。
宿題なんてできるわけがない・・・
そんなこんなで県大会。
場所は相模原の横山公園野球場。
相手は横浜の学校でした(どこかは忘れてしまいました)。
シートノックで思ったのが、とにかく土が硬いこと。
バウンドがとにかく跳ねるんです。叩きつけたらバウンドしたボールが頭を越すくらいに。
個人的には「やりにくいなー」といった感じで試合を迎えます。
この試合、凄く締まったゲームになりました。
ロースコアで終盤まで。
しかしながら、こちらのエラーで2点ビハインドで最終回を迎えます。
1人倒れ、2人目が倒れ、・・・そして回ってきたバッターが私・・・。
内心「代打出してくれないかな・・・」みたいな気持ちでいました。
結果はショートゴロ・・・。そしてゲームセット。
私たちは県大会1回戦で敗れました。
試合後はもう、泣いてる仲間ばかりで、なんとも言えない気持ちでございました。
私はなんというか、「全力出しきった」みたいな感じが強くて、そりゃあ悔しいですけど、満足感が強かったです。
ともかくこれで、自分たちの(正規の)試合はなくなりました。
と、だいたいならここで3年生は引退になるんですが、私たちは実は春先、「関東少年野球大会」なる大会に町代表として内定しておりまして、こちらの大会に備えることになりました。
この大会は一般的な学校も出るのですが、クラブチームなども参加する大会でございます。ただ、ルールなどは全く同じ。
地区大会からの流れが「正規」の流れだとすると、こちらは「アナザー」みたいな、そんな感じですかね。
この大会では正規ルートが終わったこともあり、今まで出番がなかった同級生や後輩たちが先発したりといった感じで大会に臨むことになりました。
しかしながら私は相変わらず背番号5、打順は1つ繰り上がって7番で毎試合スタメン起用でございました。
個人的には「休みたいなー」みたいな感じではありましたが・・・。
とは言いつつも順調に勝ち進んでいきます。まぁチーム力は高かったですし。
私もこの辺りでやっと、本当にやっとバッティングがうまくいくようになり、チームもいい形で勝ち進んでいったわけでございます。
そして準決勝。
なんというか、個人的に事件でした。
結論から言うと、この試合で私だけで3エラーします。
なんでもないゴロも捌けないし、なにやってもうまくいかない状態。
3回あたりで替えられましたが、何がどうなってるのかサッパリわかりませんでした。
今で言う「イップス」とかだったのかな?とにかくそんな状態でした。
試合は敗れます。3位決定戦はなかったので、同順3位的な形でカップと賞状をいただいて終了。
ここで、私の代の大会は全て終了。引退となりました。
とにかく長かった中学時代でございますが、最後の夏の、さらに最後のあたりまでプレー出来たのは今でも自信になっています。
しかしながら、2学期の放課後から部活せずに帰るのはなんだか寂しかったですね(最初は卓球部の幽霊部員だったくせに)。
その後も後輩の指導をしたり、練習試合で審判をしたりと、野球部とはそれなりに関わりがあったのですが、基本的には全て後輩に託すという形になり、私たちは受験に向けて動き出すという形になりました。
そんなこんなで中学編終了。長々どうもありがとうございました。

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