野球の思い出 ~高校編②~

さて、高校編続きです。
夏の大会前に背番号が配られたのですが、私は「2」でした。
初めての練習試合の後に先生が登録したんだと思いますが、まさかまた2を背負うことになるとは・・・
とはいえ、このあたりでは正捕手も決まり、私はセカンド・ショートを軸に、場合によっては外野にもいけるプレイヤーということになっていました。
ちなみに打順は1番に。相変わらず脚は速かったらしいです。
夏の大会が近づいた頃、地元の神奈川新聞で「夏の大会出場校紹介」的な感じでメンバーが紹介されるわけなんですけれども、見出しに「1年生チーム 悲願の1勝へ」みたいに書かれていました(笑)
なんというか、新聞的には「1年生チーム」っていうのが話題性があったんですかね。練習中も読売新聞の方が取材に来たことがありました。
そして、夏の大会の開会式を迎えます。
会場は横浜スタジアム。参加する(約)210校の選手が球場外に集まってます。
私たちはといえば、「おお、横浜高校だ!」とか「うわ、東海大相模だ!」とか、テレビの向こう側のスターを目の当たりにした田舎者みたいな感じになってました。というか、ある意味浮いてたと思う(笑)
ブルペンに待機して、入場の順番を待ちます。
でもここに来て「行進の掛け声を決めてない」という事態になり、急遽、当時あったエロ本の「ピザッツ」を合言葉に「ピザッツ~! ピザッツ~!」と行進していました(なぜそうなったかは今もサッパリわからない)。ちなみに全員半笑い。
高野連の皆様、及びテレビを見ていた高校野球ファンの方々、大変申し訳ありませんでした。
後でテレビの録画を見たらみんな謎の笑顔・・・というか、明らかに真剣味に欠ける笑い方をしてました。
あ、そういえばテレビでも「1年生チーム、悲願の1勝を目指します」的なことを言われてました。
なんか別の意味で注目されてたように感じます。
そして、ついに夏の大会を迎えるわけですが・・・
私は「テレビ中継」という、今までになかった謎のプレッシャーに襲われておりました。
私たちは第3試合なので午後試合開始だったのですが、母に作ってもらった昼食が全く喉を通らないほど緊張していました。
代わりに一緒にカバンに入っていた「エネルギー補給ゼリー」みたいなものを2つ胃に入れて試合前の練習をしていました。
前の試合が大分長引き、観客席で待っていると、一人の男性が我々のもとに「インタビューよろしいですか?」と訪ねてきました。
後で分かったのですが、この方はTVKの久保 弘毅アナウンサーで、我々の試合を実況するので話を聞かせていただきたいとのことでした。
「うわ、やっぱりテレビ中継されるんやん」みたいな感じで思っていたのですが、呼ばれたのはキャプテン・副キャプテン・ピッチャー・キャッチャーのみで、私は呼ばれませんでした。ちょっとショック・・・
第2試合もようやく終わり、グラウンドに足を踏み入れたらもう広いのなんの・・・
ちなみにこの時練習試合も含めて3試合目・・・ 色々と初めてで圧倒されました。
「保土ヶ谷で試合ができる」っていうのは嬉しい事なのですが、新チームになってグラウンドで練習したことはなく、「大丈夫かこれ?」っていう感じで練習をしていました。
試合前のシートノックも・・・ なんというか、広さに慣れていない外野陣が散々・・・
私も気のせいかダイアモンド間が物凄く広く感じました。
ただそんなことはよそに試合は始まります。
相手は私立高。確か横須賀の高校だったかな。
高校野球では試合前に応援団のエールの交換というのがあるのですが、相手側はチアダンスもいるし、ブラバンもものすごく豪華でした。
「これが高校野球なんだな」ってグラウンドに立って初めて実感した次第であります。
私は1番セカンドで先発出場します。
でもシートノックが終わったあたりから「テレビ中継」っていうプレッシャーはどこかに行って、そのおかげでお腹が空いて、ベンチでご飯食べてました(奇跡的にその模様はテレビでは写っていませんでした)。
我々はじゃんけんに勝って先攻で試合を進めることになりました。
さて、私は1番バッターなので、1回表にいきなり打順が回ってきます。
球筋は見えていたのですが、中学の頃からの「出塁主義」が抜けず、この時も「フォアボール狙い」でございました。
カウント2-2の5球目、インに来たボールを自信を持って見逃します。
判定は・・・ストライク。見逃し三振。
「え?」という感じでベンチに下がったのですが、あれは今考えたらストライクだと思います。
ちなみに後日、録画していたビデオを見たら、やや外れてはいるものの、ストライクでもおかしくない球でした。
実況・解説の方からは「振って欲しかったですねー」と言われておりました・・・
この試合、守備機会(セカンドゴロ)は3回あったのですが、「エラーはするまい!」という気持ちで、全て体で止めました。
でも綺麗に捌いた後で「今オレ写ってるかな?」なんて思ったりもしてました。
私の第2打席はセカンドゴロ。カウント的に追い込まれ、「三振ははするまい!」とカットにいったわけですが、無常にもコロコロとボールはセカンドへ。
カットの技術がなかったんだ・・・
5回を終わって1-2と、1点ビハインドでグラウンド整備が行われます。
その間内野陣で集まって、「この試合いけんじゃね?」みたいなことを話してました。
しかしその後6回裏だけで11失点してしまい、一気に1-13と追い込まれます。
高校野球ではコールドゲームというルールが有り、5回終了時点で10点差、7回終了時点で7点差開くとコールドゲームが成立、試合終了となってしまいます。
つまり、7回表で最低でも6点取らないといけない状況になりました。
が・・・、そんなことできるはずがなく、あっけなく三者凡退。
ゲームセットとなったわけです。
ちなみに私は第3打席、サード後方へのポテンヒットを打ったわけなんですが、なんとその頃には野球中継は終了していたそうです(泣)
また、球場に応援に来ていた母のもとに、テレビ観戦していた親戚などから「放送終わったんだけど、そっちどうなってる?」といった電話がひっきりなしにかかってきたらしく、母は電話口でずっと実況していたそうです。
ともあれ、高校野球の夏の大会に出られたというのは今でもいい思い出になっています。色んな意味で。
1年生チームということでそこそこに話題にもなりましたし、しかも試合がテレビ中継されたりと、なんだか物凄いことになってましたが、本当にいい思い出です。
そして、我々を支えてくれた先輩マネージャーさんはここで引退となりました。
最後の大会、勝たせてあげたかったですが、コールドゲームという切ない結果に終わってしまったのがとても悔やまれました。
その先輩は試合後に読売新聞の取材を受け、翌日写真付きで記事になったのですが、アーカイブとかあったら欲しいです。問い合わせたらいいのかな?
次回「野球の思い出」はラストです。

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