野球の思い出 ~高校編①~

ということで、続いてまいりました「野球の思い出」。ラスト高校編です。
いやまぁ、その前にですね、色々とカッコイイことを話させていただきますと、中学時代に県大会に出場したので、県内のそこそこの野球実力校数校からスカウトが来てました。
「野球やるなら推薦で入ってくれていいですよ」的な感じですね。
で、進路について三者面談がありました。
あ、中学編で書き忘れましたが、3年時の担任は野球部の顧問の先生でした。
その席で・・・
担任「Tomoki、高校では野球はやるのか?やるなら推薦出すぞ」
ということで。
私はもうこの時はきっぱり決めていました。
「高校では野球をやりません!」
そう担任に告げ、高校に進学します。
なんかもう、野球は中学でやりきった感があったんですね。
凄く良いチームでしたし、感無量っていう感じで。
じゃあなぜ「野球の思い出 ~高校編~」とか書いてるかってことになるんですけどね。
実は進学した学校は部活動は自由参加で、勿論帰宅部もOKという感じでございました。
ただ、同じ中学から野球をやりに同じ高校へ進学した仲間が数名いました。
そいつら曰く「この高校には野球部はあるけど、人数がいなくてほぼ休部状態らしい。みんなで押しかけて、1年からレギュラーになろうぜ」ということで。
そこでは全く心を動かされなかったんですが、高校に入学して数日後に開かれた部活説明会の時に、3年生の女子マネージャーさんが1人、マイクを持って「今、野球部には私しかいないんです。皆さん野球部に入ってください」って言ったのです。
聞いてた話と違います。休部状態っていうよりもう同好会みたいな、というか部として成り立ってるのかどうかもわからない状態でした。
「これ、アカンな・・・」という感じで思ってしまったわけです。
そんなわけで、野球をやらないつもりで進学しましたが、結局野球をやることになりました。
幸いなことに、私を含めて1年生が19人入部届を出しました。なんとか、人数は(形の上では)確保できたことになります。
ただまぁ、なんか上から目線になってしまって申し訳ないんですが、中学の頃の練習や活気に比べてヌルいのなんの。
同じ中学から進んだ奴がどれだけ頼もしく見えたか。
数人、高校から野球を始めたっていう人間もいましたし、他の学校から来た奴もそんなにうまくない・・・。
「大丈夫なん?これ・・・」という感じで。
しかしながら、入ったからには全力で。
1年生だけで19人ですが、どこかしらのレギュラーを取りに行かないといけないわけですからね。しかも4月に入学して夏には甲子園の予選となる県大会が待ってるわけで、かなり急ピッチで練習していきました。
しかし軟球から硬球に変わるというのは、物凄く大きなことでした。
今までの投げ方や持ち方では到底投げられませんでした。
堅いし痛いし・・・「硬球やべぇ・・・」みたいな感じではありました。
ちなみに初めての練習試合、私はキャッチャーで先発するんですが、小学生編の時みたいにパスボールばかり。
いや、硬球怖い・・・。防具つけてても痛いし。
そんなわけで、その次の練習試合ではセカンド・ショート・外野など、幅広く守る奴っていう感じになりました。
で、その間に夏の大会の組み合わせ抽選があったわけなんです。
クジを引きに行ったキャプテン(もちろん1年生)が、帰ってきてから「ヤバイ、ヤバイ・・・」と繰り返してました。
初戦の試合会場が、保土ヶ谷球場だったんです。
神奈川の高校野球ファンの方ならもうこの時点でお察しのことと思いますが、簡潔に説明させていただくと、「TVK(テレビ神奈川)のテレビ中継が行われる試合会場」を引き当ててしまったということでございます。
ちなみにこの頃、神奈川の高校野球は12会場くらいで行われていたのですが、テレビ中継されるのは保土ヶ谷球場の試合(勝ち進んで横浜スタジアムの試合のみになるとそちらの中継になります)。
まさか12分の1を引き当てるといううちの主将の引きにドン引きした瞬間でした。
初めての夏の大会で、1年生チームで、保土ヶ谷球場(テレビ中継)・・・
えらいことになったなと感じた次第です。
そんなわけで続きます。

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